今回は自身のアメリカ出産体験記を綴っていこうと思います。
2020年からアメリカ生活をしている筆者ですが、2年後の2022年夏、無事にアメリカで娘を出産しました。
無事に…と書きましたが、実際は予想外のトラブルの連続で人生で一番壮絶な体験となりました。
今回はそんなアメリカでの出産体験についてお伝えしていこうと思います。
これからアメリカで出産を予定されている方は閲覧にご注意ください。
内容が少し過激なので、不安を与えてしまうかもしれません。心配な方は読むのをお控えください。
出産前日〜当日の流れ
出産前日
早朝 陣痛のような規則的な痛みを感じ、陣痛タイマーを測り始める。3分〜7分の間でバラバラ。一旦、大学病院へ行くことに。
朝 大学病院到着、待機室に案内されバイタルや子宮口チェック。まだ2センチのため一旦帰宅。陣痛が5分間隔になったらもう一度来てと言われる。
日中 安心したのか陣痛が一旦引くが15時ごろから再び規則的な痛みを感じ始める。
深夜 継続して陣痛を感じる。間隔は3分〜7分の間でバラバラ
出産当日
早朝 継続して陣痛を感じるも、2分〜6分の間でバラバラ。
朝 継続して陣痛を感じるも、4分〜6分の間でバラバラ。一睡もできず、ほぼ丸1日痛みに堪えながら生活して疲労困憊。耐え切れず再度、大学病院へ行くことに。
日中 大学病院到着、待機室に案内されバイタルや子宮口チェック。子宮口は3センチ。ギリギリ出産準備ができる大きさ。
到着時に5分間隔になっていることが確認できたので、陣痛促進剤を打ってもらい出産準備に入る。
硬膜外麻酔でトラブル発生
麻酔科医から無痛分娩の際に使用する麻酔の説明をうけ、背中を丸めて背骨のあたりに硬膜外麻酔をうつ。
普通なら足の感覚はあり、膝を動かせるはずなのになぜか感覚がどんどんなくなっていく。。
少し息がしづらく感じ、看護師にマスクを外しても良いか尋ねるもNG。
さらに息がしづらくなり、側から見ても様子がおかしいことに気づく程度に、状態が悪化。(息ができなくてうごめく感じ)
息ができないことをなんとか伝えて、急いで酸素マスクを装着してもらう。
とりあえずは呼吸が安定するも、足の感覚は全くなし。
麻酔科医に膝や足の指を動かせるか聞かれるも、全く動かない。
看護師や麻酔科医が少し慌てた様子を見せるも、本番前のテスト麻酔だったようで時間経過とともに症状が楽に。
分娩室に移動
麻酔後、体感1〜2時間ほどで子宮口が全開になったことが確認できたため分娩室に移動。
背中のカテーテルから追加で麻酔を流してもらい、再度足の感覚のチェックが入る。
この時は膝や足の指も動かすことができ問題なし。
麻酔も無事に入って、いよいよ分娩が始まる。
6時間以上イキみ続ける地獄の時間
1分間隔になっていたので陣痛のタイミングに合わせて思い切りイキむ。
麻酔の量も適度に調節されているため、イキむタイミングではそれなりに痛い。(重度の腹痛レベル)
助産師からは「いい感じ!もう頭の先端は見えてるからすぐかもね!」と開始早々言われる。
しかし、そこから6時間以上イキみ続けるも、全く進展せず。。
バスタオルを引っ張ったり、手すりをつかんだり、看護師に手を引っ張ってもらったり、赤ちゃんが潰れるのではと思うぐらいお腹を押されたり…
様々な方法で分娩を試すも、赤ちゃんの頭の先端が見えているところから一向に進展しない。
母子の健康を優先し、緊急帝王切開に切り替える
夜11時が回った頃に、助産師から帝王切開をした方がよいと告げられる。
考えてもいなかったため、できればそのまま膣分娩をしたいと伝えるが「もうかなり長くイキんでいるし、このままだと赤ちゃんの頭がお母さんの骨にぶつかって削れてしまうから危ない」と言われる。
「あと15分頑張って、進展がなかったら帝王切開にしましょう」と言われ、15分間さらに本気でイキむも変化なし。
ここで仕方なく帝王切開に切り替えることに。
オペ室に移動し、脊髄麻酔を投与
帝王切開では、硬膜外麻酔ではなく脊髄麻酔の必要があるため再び上半身を起こされ麻酔注射をされる。
1分間隔で陣痛がきている中で、体位を変えられてじっとするのはかなりしんどい。。
麻酔を投与された後は、無痛分娩とは違い、胸から下は全く感覚がなくなる。
オベ室に移動し、4人がかりで手術台に身体を移される。
旦那も手術室に入れるように、防菌服に着替える。
手術開始直前に、旦那は手術室に入り、私の頭がある方に座って一緒に様子を見守る。
帝王切開開始後、20分で出産
お腹を押されて感覚がないことを確認され、手術がスタート。
手術開始後20分足らずで、「オギャー!」と赤ちゃんの産声が聞こえる。
不安と期待がごちゃ混ぜの感情になりながら赤ちゃんの産声をただただ待っていました。
産声を聞いたときには、生まれてくた安堵感で夫婦ともに号泣でした。
産後1日目
娘が産まれて、お腹を縫合している頃にはすでに日を跨いで16日に。
生まれるとすぐに助手の人が赤ちゃんを連れてきて、旦那の腕の中へ手渡される。
その後、赤ちゃんを看護師の元へ戻し、同じ部屋の隅で体重や臍の緒の処置などが行われる。
リカバリールームに移動
お腹の縫合が終わりリカバリールームと呼ばれる入院部屋に入る前の待機室へ移動。
赤ちゃんも透明の容器に入れられて、カートで運ばれる。
ここで入院部屋の準備ができるまで数時間待機。
定期的に私のバイタルチェックや点滴交換、さらに赤ちゃんの体調をチェックしに看護師が入れ替わり立ち替わりで訪れる。
ここで赤ちゃんの体温が低いということで、赤ちゃんだけ専用の保温室に移動。
入院部屋に移動
結局、リカバリールームで3〜4時間ほど待たされ明け方に入院部屋(個室)へ移動。
点滴や痛み止めの処方、カテーテルにつなげられた尿の処理、産褥パッドの交換などひっきりなしに担当看護師が訪れ、深い睡眠は取れず。
気づけば朝食のオーダー時間になり「食欲がなくても必ずオーダーして食べて!」と看護師から告げられる。
渋々メニュー表を受け取り、電話でオーダーする。久しぶりの食事をとる。
帝王切開後、たったの10時間で自力で歩く練習開始
朝食後、看護師が再来し衝撃の一言。
「じゃあ起き上がって、トイレまで行きましょう」
流石に夫も「彼女は昨日の夜中に手術したばかりだよ」とフォローを入れる。
看護師曰く、帝王切開後にずっと体を同じ状態にしていると血流が悪くなり合併症の発生リスクが高くなるんだとか。
無理にでも体を動かしたほうが治りも早くなるそう。
信じられない気持ちのまま、半ば強制に姿勢を起こされ、ゾンビのような状態で必死に点滴のポールを掴みながら立ち上がる。
数メートル先の個室内のトイレを目指して、約10分ほどかけて進んでいく。
かなり強い痛み止めを処方されているのにも関わらず、激痛で少しずつしか進めない。。
なんとかトイレまで辿り着くと、便座に座らされ、看護師から局部の洗浄方法や産褥パッドの変え方を教わる。
もちろん一人では不可能なので、準備やパッドの交換は夫にやってもらうことに。
一通りのレクチャーが終わり、再度ベットに10分かけて戻り、元の状態に。
「じゃあ、これからはなるべく数時間に1回くらいは病室内を歩いたり、トイレに行ったりしてね」と告げられて、看護師は病室を後に。
(私、10時間前にお腹を切ったんだよね?)
と自問自答しながらスパルタ環境でのリハビリが始まる。
その後は、3時間おきの薬の処方、点滴の交換、お腹の縫合部分の確認、トイレまでのリハビリ・産褥パッドの交換などが延々と繰り返されてあっという間に1日が終わる。
産後2日目
激しい頭痛で身動きが取れず
看護師に言われた通り、リハビリとして数時間に一回のペースで立ち上がり病室内を歩く。
しかしリクライニングベッドを起こす度にひどい頭痛に襲われる。
頭が痛すぎて、状態を起こしてからしばらく安静にしていないと立ち上がる動作もできないほど。
さらに横になっている時も常に、首の後ろと背中にひどい筋肉痛のような痛みを感じる。
診察に来た医師に相談すると、どうやら初回に打ったテスト麻酔の後遺症の可能性があるとのこと。
その後しばらくして、担当麻酔医とそのボスが病室にあらわれ、症状の診察、なぜこの症状が起きるのか、そして対応策の説明をされる。
数週間も経てば自然治癒でも頭痛が改善されるが、ブラッドパッチと呼ばれる処置を追加で行うことを強く勧められる。
医師の説明曰く、ブラッドパッチをすれば即時に症状が改善されるらしいが、再度背中に注射を打つこと、稀ではあるがさらなる後遺症があることから処置を拒否。
自然治癒での回復を選択する。
産後3日目(退院日)
早朝、看護師にチェックアウトの時刻を尋ねるも「今日中であれば何時でもよい、好きな時出て行っていいよ」と言われる。
アメリカらしいなーと思いつつも、さすがに病院食に飽きたので昼前目安で退院準備を進める。
病室に車椅子を持ってきてもらい、送迎担当らしき堅いのよいお兄さんに病院前の駐車スペースまで運んでもらう。
夫の車に乗り込もうとするも、術後のお腹の痛みがひどく思うように足が上がらない。
なんとか車に乗り込むも状態を起こしたままのため頭痛がひどく、かなりしんどい。
さらにはアメリカの舗装が行き届いていないガタゴトの車道。かなりゆっくり走行してもらうも、振動やカーブの重力で全身が悲鳴をあげる。
こうして産後のズタボロの体のまま、とても退院とは思えない状態で病院を後にすることに。。
アメリカでの出産を経験した今、思うこと
そんなこんなでアメリカという異国の地で初めての出産を経験しました。
壮絶で予期せぬハプニングばかりではありましたが、我が子の誕生の嬉しさに勝るものはありません。
我が子が生まれてくるまでは、無痛分娩にもかかわらず自力で産むことができなかったのかと自分を責め、帝王切開の手術の間、悲しくて涙が溢れてきました。
しかし娘の産声を聞いた瞬間、ただただ健康に生まれてきてくれたことに安堵し、嬉し涙に変わったことを覚えています。
自然分娩であろうと無痛分娩であろうと、はたまた帝王切開であろうと今となってはどうでもよいことのように感じます。
まさにお腹を痛めて産んだ我が子を大切に育てていきたいと、強く思いました。
これから出産予定の方にとっては不安になる点が多い体験談だと思います。
しかし異国の地で生活する私たちのような日本人にとって「情報がない」ということが一番不安だと感じています。
どんな体験談にせよ、事前に知っておくことでできる準備や心づもりもあるのではと思い、今回この体験談をシェアすることにしました。
この記事を読んでいる皆さんにとって、少しでもお役に立てれば嬉しいです。